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 九州 マジックといえば九州!     文・玉木マキより一部拝借

マジックと言えば九州!唐突な断言なのだが、まず言わせてもらおう。マジックと言えば九州なのだ。

 いきなりこんな事を断言されても困惑されるだけだろうが、日本マジックの歴史に九州あり、という事実は隠しきれないほど重要なのだ。

九州にどんなマジックのルーツがあるのか?どんなものが九州に日本マジック界の土台となったのか?なぜ九州なのか?

唐突な断言は数々の疑問を呼ぶ。

ここに私の知っている事実と体験してきた事、またマジック界重鎮の方達の証言の元、知り得た内容を残します。

 

日本のマジックの歴史となると、明治・大正と随分遡らなくてはいけない・・・それに似たような元となると江戸時代まで遡る説まで出てくる。

しかし、マジック・手品がショービジネスとして確立したのは今からおよそ50年前位だそうだ。

 

 当時、日本には3人の偉業を成したマジシャンがいた。

1人は日本を拠点に、日本で大活躍をしたあの誰もが知る初代引田天功。もう1人は海外を拠点に最後はラスベガス・ホテルリビエラ出演・島田晴夫。 そして最後に今回九州のマジックを語るに不可欠な重要な人物。九州福岡を拠点にしながら、海外世界各国で活躍していたマジシャン、菊地豊。

この3大マジシャンによって、現在のマジックがあるとも言える。

 日本のマジシャン達に多大な影響を与えた3人のマジシャンの1人が九州にいたのである。

菊地豊はさらに単にマジシャンだけでは終わらず、マジックグッズのメーカーでもあり、マジックグッズのディーラーでもあり・・・3つの顔を持つ男であった。マジックグッズを自ら作り、それらを売り、更にはマジックショーもこなしていたマジシャンというのはその当時、彼一人だったのである。海外でそういった活動ができたのも、彼の斬新なアイデアとマジックセンスがあってこそなのだ。

マジックショーの業界と、マジックディーラーの業界では全く付き合う人間が違ってくる。菊地豊は両方とも付き合いがあり、世界中に交友関係者がいた。・・・海外マジック大会に行くと、よく話しかけられる内容がある・・・海外マジックショップ社長から「あの菊地豊が私の家に来て食事して泊まってくれた!」・・・こんな話は一度や二度では無い。 日本で考えると、歌舞伎花形スターが売店グッズ売り場に立っているのと同じ感覚である。

・・・・・・・・・・続く

1959~60年に公開されたイタリア映画『ヨーロッパの夜』は、日本のマジシャンや愛好家に絶大な反響を及ぼした。この中に登場するマジシャン『チャニングポロック』のマジックは当時センセーショナルなものだった。

チャニングポロックが見せたマジック、それはあの「鳩出し」だったのである。今でこそ「鳩出し」はマジックショーの枕詞みたいなものと化してしまっているほどメジャーな演技だが、それはこの『ヨーロッパの夜』「チャニング・ポロック」の影響である。生きた鳩が何もないハンカチから出てくる、という魔法は日本中のマジシャンや愛好家たちを釘付けにし、上映期間中何度も映画館へ足を運ばせた!という話はいまだによく語られている。それほど衝撃的なマジックであったのである。

当然ながら、マジックの世界でも「鳩出し」が大ブームとなり、そのうち鳩出しがベーシックなものと誰もが感じるまで至ったのである。

その狂瀾怒涛の鳩出しブームのさなか、菊地豊 は次の段階を考えていた。

『鳩』 ではなく、それと同等あるいはそれ以上の効果的な物は何だろうか・・・

・・・ そこで彼が思いつたのが 『火』 だった。

空っぽの手や何もないハンカチから、突然火が出て、それが右手左手と移動しさらに分裂し、ポケットに火を入れた、かと思うとまた手から火が出てくる。といった一連の手順まで一緒に考え出したのである。

「鳩」で皆が夢中になっている中、彼は「火」であっと言わせた。そして瞬く間にそれは世界中で爆発的な売れ行きを見せたのである。

ご存じの方も多いかもしれない、『フィックルファイヤー』という有名な「火ネタ」のグッズのパイオニア・・菊地豊なのだ。

・・・つづく

 

 

そんな世界を驚かすマジックグッズを作った彼は、今度は世界から日本へと、素晴らしマジックグッズを持ち込むようになる。

海外ではマジックグッズを売り終わると、残ったグッズをマジックディーラー達で商品と商品をトレードしていた。要するに物々交換ということだ。評判の良かった菊地のマジックグッズはドンドントレードして海外の素晴らしいグッズを日本に持ち帰ることが出来たのだ・・

・・そう九州に!

この当時、日本のマジックショップは日本製の商品しかどこも扱っておらず、マジシャンやマジック愛好家達は日本製のグッズしか購入する事ができなかった。

日本で海外のマジックグッズを売っていたのは全国で唯一、福岡の菊地豊のお店「九州奇術菊地会」(のちの菊地マジック)だけだったのであった。  彼は自分のアンテナショップでもあった福岡老舗デパートの手品グッズコーナーで、しれっと海外グッズを並べて売っていた。

それをどこからか聞きつけた日本中のマジシャンたちが、我先にとわざわざ福岡まで買いにやってきたという。海外のマジックグッズが日本で買えるとは! そして拠点としている自宅兼工場であった菊地邸までやってくるマジシャンも少なくなかった。その中にはあのMrマリックもまだ当時若年者としてやってきていた。九州在住のプロマジシャン小川心平やMrサコー・世紀代功もそこにやってきていた一人だった。

その頃マジックの最先端情報発信は福岡の「九州奇術菊地会」だったのだ。

インターネットのような便利な情報収集手段はあるはずもなく、海外のマジック情報を仕入れる事のできる唯一の場所が「九州奇術菊地会」だったのであった。それを機に、海外のマジックが全国的に広まったのである。

九州のマジック、ひいては日本のマジックの根底に菊地豊ありきなのだ。

 

九州のプロマジシャンには「火」を使う演技をする者が多いと、よく言われるがその根底にはこういった菊地豊の影響があるのだ。

そういった背景があって、全国的にみて九州はマジックが盛んであるし、マジックといえば九州なのである!

 

 

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